「ゲームやマンガの話じゃなくて、実在した錬金術師のことが知りたい!」
「どんな錬金術師がいて、どんなことをしていたの?」
「実在した錬金術師たちは、賢者の石や金を本当に作れていたの?」
そんな疑問をお持ちの方、いらっしゃるのではないでしょうか?
錬金術には過去千年以上の歴史があり、数々の錬金術師が実在していたのですが、彼らの多くは謎に包まれています。
ゲームや漫画などで聞いた名前があるかもしれませんが、その錬金術師がどういう人物で、いつごろ生きていたのかなどは、意外と知られていないかもしれません。
そこで今回は、錬金術大好きライターochappieが、実在した有名な錬金術師について分かりやすく紹介します。
どこかで聞いたことがある名前…という錬金術師たちをチョイスしましたので、この記事を読めば、「あ、この人のことだったのか!」とスッキリしていただけるかと思います。
実在した錬金術師5選
錬金術とは、鉛や水銀などありふれて価値の低い金属から、金を作り出すための技術のこと。
その錬金術を研究して金や、金を作るとき必要になる賢者の石という物質を作ろうとしていたのが錬金術師です。
では、実在したといわれる錬金術師たちについて見ていきましょう。
1.ヘルメス・トリスメギストス
まず1人目は、ヘルメス・トリスメギストス。
生まれた時期も、死んだ年齢も不明の、紀元前の錬金術師です。
紀元前からの錬金術の歴史の中で、もっとも重要な人物といっても言い過ぎではありません。
なぜなら彼は、錬金術の生みの親と言われているからです。
トリスメギストスは「3倍偉大な」という意味で、ギリシャ神話のヘルメス神と、エジプト神話のトート神の力を継ぐ人物として錬金術師ヘルメスのイメージが融合し、「3倍偉大なヘルメス(ヘルメス・トリスメギストス)と呼ばれるようになったのです。
ヘルメス・トリスメギストスは、錬金術で賢者の石を作り出したといわれています。
賢者の石とは、鉛や水銀などありふれた金属を黄金に変化させるといわれる伝説の物質です。
彼が書き遺したとされる「エメラルド板」は、西暦1,000年ごろヨーロッパで発見され、以降は錬金術の究極の奥義書として多くの錬金術師に読み継がれていきました。
エメラルド板の文章は比喩だらけで一見すると何を言っているかわからないのですが、賢者の石の作り方を記されているといわれています。
ヘルメス・トリスメギストスがいなければ、錬金術は存在しなかったのでしょう。
2.パラケルスス
錬金術師パラケルスス。本名、テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイム。
1493年~1541年に生き、47歳で死亡したスイスの錬金術師です。
彼は医者でもありましたが、人生のほとんどの期間、一か所に定住せず放浪生活を送っていました。
パラケルススは、賢者の石の合成に成功したといわれています。
パラケルススの生きていた時代、錬金術師たちは「安い金属から本物の金を作ること」を目的にしていました。
しかしパラケルススは、不老不死の万能薬を作る方法として錬金術を活用することを考えたのです。
彼は医者として、医学に錬金術的な物質を取り入れ、酸化鉄、水銀、鉛、銅、ヒ素などの金属化合物を医薬品として取り入れました。
医者としての業績もめざましく、パラケルススは「医化学の祖」とも呼ばれています。
パラケルススは貧しい放浪生活を続け、ペストなどで病む患者を救いながら47歳の若さで死亡したといわれています。
3.ニコラス・フラメル
映画『ファンタスティックビーストと黒い魔法使いの誕生』にニコラス・フラメルという人物が登場しました。
ニコラス・フラメルは実在の錬金術師です。
1340年ごろにフランスで生まれ、1418年に78歳で亡くなったとされています。
ニコラス・フラメルはパリで出版業を営む裕福な商人でした。
彼は慈善活動家としても有名で、経済不況と戦争で厳しいご時世にもかかわらず、巨額の資金を貧しい人々を保護するために捧げていました。
貧しい人を援助するための資金は、ニコラス・フラメルが賢者の石から金を作り出して用意した、とも言われています。
ニコラス・フラメルは出版業の仕事の中で錬金術書に出会い、錬金術書を解読して一人前の錬金術師になり、賢者の石の合成に成功したという伝説があります。
ニコラス・フラメルの妻ペルネルは、彼の最大の理解者であり、魔術師でもあったと言われています。
1397年に最愛の妻ペルネルが亡くなると、ニコラス・フラメルは自分の得た錬金術に関する知識を書物にまとめ始めました。
そして後の錬金術師たちにとって不可欠な書物である『象形寓意の図(しょうけいぐういのず)』という錬金術書を完成させ、1418年に死去ました。
しかしニコラス・フラメルは、賢者の石で不老不死を手に入れて、その後も歴史の陰で長く生き続けたとも言われています。
4.サンジェルマン伯爵
サンジェルマン伯爵もまた、賢者の石を作った錬金術師だと言われています。
彼は1691年生まれ、1784年没とされる「ヨーロッパ最大の謎の人物」です。
スペイン王妃マリー=アンヌ・ド・ヌブールの私生児といわれており、博識で金銭的にも豊かな生活を送っていました。
一流の音楽家でありながら化学にも大変くわしく、60代のときフランスでシャンボール城という無人の城を使用する許可を得て、化学実験室として使用していました。
サン・ジェルマン伯爵は18世紀ヨーロッパの人々から〝wonderman(驚異の男)〟と呼ばれており、錬金術で賢者の石を得て、2000年を超える長寿の人物とも噂されていました。
フランスの作家ニコラ・シャンフォールによれば、サン・ジェルマン伯爵の使用人に「あなたの主人は本当に2000歳なのですか」と問うたところ、彼は「それはお教えすることができません。わたしはたった300年しかお仕えしていないのですから」と答えたそうです。
プロイセン(現ドイツ・ポーランドに存在していた国)のフリードリヒ大王は、サン・ジェルマン伯爵を「死ぬことのできない人間」と評価したそうです。
芸術、化学、錬金術、東洋知識に至るまで、何でも知っているサン・ジェルマン伯爵には、生前から様々な噂がつきまとっていましたが、本人があえて否定しませんでした。
そのため、人々はサン・ジェルマン伯爵を不死の男として語り遺し、さまざまな伝説ができていったのだと言われています。
5.アイザック・ニュートン
万有引力を発見した、あの有名なアイザック・ニュートンです。
と、驚かれるかもしれません。
アイザック・ニュートンは1642年~1727年に生きた、イングランドの人物です。
ニュートンはリンゴの木から果実が落ちるのを見て万有引力を発見した(実際はフィクションと言われていますが…)という逸話を持つ物理学者ですが、彼の業績は物理学にとどまりません。
ニュートンは下院議員の職に就いたり、王立造幣局長官に昇進したりといろいろな経歴を持っています。
造幣局で働くかたわら、ニュートンは錬金術の研究に没頭するようになりました。
ニュートンの錬金術研究の目的はまず賢者の石を発見し、次に不老不死の薬エリクサーを手に入れることでした。
ニュートンの時代、錬金術の実験の一部は禁止されており、不許可の錬金術研究をすると罰を受けたといいます。
そのためニュートンは自分の錬金術研究を隠し、錬金術に関する書物の出版を避けていました。
ニュートンの錬金術研究の内容の多くは、失われてしまったのですが、20世紀の経済学者ケインズがオークションで手に入れたニュートンのトランクの中には、錬金術の研究資料が大量に詰め込まれていました。
生前のニュートンは長い間うつ状態や神経衰弱になっていたといわれていますが、その原因が、錬金術の材料である水銀の中毒症状だったという説が有力視されています。
実際、近年の調査によるとニュートンの残された毛髪から、大量の水銀が検出されたと報告されています。
ケインズのニュートン評は面白い。後世の人々が考えているような「近代に属する最初の科学者」ではなく、むしろ「最後の魔術師」だったというのだ。実際、後にニュートンの遺髪を分析したところ、通常の40倍以上の水銀が含まれていた。いうまでもなく水銀は、錬金術の世界で最もよく用いられた物質の一つである。
引用元:日本経済新聞
現代の私たちからすると「有名な科学者といえばニュートン!」というイメージさえありますが、彼は本気で錬金術を研究している錬金術師という顔もあったのです。
歴史上、さまざまな錬金術師が賢者の石を作ろうとする途中で、金属化合物の合成や分解のノウハウを積み重ねていきました。
それら一つ一つの積み重ねが、科学技術の発展の基礎を築いたのです。
錬金術師ニュートンもまた、人類に科学をもたらした偉大な人物なのでした。
まとめ
- 実在の錬金術師には、賢者の石を作り不老不死になったといわれる者もいる
- 錬金術師の中には、物理学、化学のスペシャリストもいた
- 錬金術師が数多くの金属化合物を研究してきたおかげで、現代の科学が発展した
以上、実在した錬金術師5選でした。
魔法と科学が分かれる前の時代に実在した、錬金術師たち。
神秘的で、私たちの心を捉えてはなしません。
まだまだ錬金術についてお伝えしていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。