日本では、不思議な力を持つ空想上の存在として知られている「魔女」。
漫画やゲームなどでもよく登場し、ハロウィンにはコスプレを楽しむ方も多いですよね。(私もハリーポッターの大ファンでコスプレした経験があります!)
そんな魔女ですが、過去に実在はするのでしょうか?
実は調べてみると、有名な魔女は複数いることがわかりました!
今回は、そんな有名な「魔女」を3人紹介します!
有名な魔女①ジャンヌ・ダルク
歴史上で一番有名な魔女といえば、やはりジャンヌ・ダルクでしょう!
ジャンヌ・ダルクは15世紀に活躍した女性軍人で、別名「オルレアンの乙女」とも呼ばれています。
そんなジャンヌダルクは、現在のフランス東部に農家の娘として誕生しました。(1412年頃)
ジャンヌダルクは12歳の時に「神の啓示」を受け、
「敵対しているイングランド軍を駆逐してフランス王太子シャルルを連れていき、王位に就かせよ」と聴いたと証言しています。
その後、ジャンヌダルクはその言葉の通り、フランス軍に従軍!すごい行動力ですよね。。
その後、様々な障害を乗り越えて、当時イングランド軍が占領していたフランス領土を次々に奪還し、大きな功績を挙げます。つ、強い…。
そして、その結果、「神の啓示」の通り、シャルル7世は王位に就く事ができたのです。
しかし、実は、フランス・コンピエーニュでの戦いで、ジャンヌ自身は敵に捕まりました。
イングランド側が敵に身代金を渡したことで、ジャンヌはフランス側に戻ることになりましたが、その後異端審問(今で言う裁判のようなもの)にかけられ、異端の罪(魔女である)とされ、火炙りの刑が確定。19歳の若さで亡くなっています。
当時のフランスでは、女性が軍に従事することは異例だったこと、また政治的背景からジャンヌをよく思わない人がいた為、ジャンヌは強制的に罪を被ることになりました。頑張ったのに、可哀想ですよね。。
このような経緯から、ジャンヌダルクは、「聖人」と知られる一方で、「魔女」としても有名になったのです。
なお、彼女の死後、1456年に「ジャンヌダルクの復権裁判」が行われ、この裁判の結果、ジャンヌは無罪が確定しました。
有名な魔女②アリス・キテラ
アリス・テキラは、アイルランドでの魔女裁判で初めて有罪判決を受けた女性です。
13世紀に誕生し、その類まれな美貌で、お金持ちと4度結婚しています。
しかし、なぜかすぐに夫は亡くなり、彼女は多額の財産を手にしたことから、魔女の疑いをかけられます。
魔法を使って夫を殺害した、と思われたのですね。
魔女裁判で彼女は有罪判決を受けますが、その直後に国外へ逃亡。その後の消息は不明です。
しかし、従者であるペトロニーラ・ディ・ミーズは捕まってしまい、処刑されています。
有名な魔女③マリ・ダスピルクエット
マリ・ダスピルクエットは16世紀にフランスで魔女裁判にかけられた女性です。
彼女は幼い頃から、自らを魔女であると信じており、サバト(魔女の集会)に通っていたのだとか。筋金入りの魔女だったと言われています。
そもそも、魔女の定義って何?
そもそも、魔女の定義とは何でしょうか?
魔女の歴史は古代からあり、定義も様々ですが、現代の大きな定義としては、
「超自然的な力で他人に災いをもたらす術師」です。
しかし、紹介してきた魔女たちが生きていたのは、中世ヨーロッパ。
実は、中世ヨーロッパでの魔女の定義は現在とは異なり、宗教的背景の強い言葉でした。
中世ヨーロッパではキリスト教が広く信仰されており、超自然的な力を使える=「聖人」とされていました。
そのため、聖人でないのに超自然的な力を使える場合は「悪魔の手下」とされ、「魔女」と呼ばれていたようです。
そして、こうした曖昧な定義のために、中世ヨーロッパでは何の罪もないのに「魔女」の疑いをかけられ拷問の上で亡くなった人が多数いたのです。このことを「魔女狩り」と言います。
中世ヨーロッパで盛んに行われた「魔女狩り」で有名な事件は?
中世ヨーロッパで盛んに行われた魔女狩り。
その中でも有名な事件が「セイラム魔女裁判」です。
この事件は17世紀に、現在のアメリカ合衆国マサチューセッツ州のダンバースで起きました。
当時は「セイラム」という小さな村で、人口は1,700人程度。
きっかけは村に住む少女たちの異常行動でした。
少女たちは親に隠れて降霊会に参加。その途中で、突然暴れ出し、医師にかかるも原因が特定できず、最終的には「悪霊に憑かれた」と診断されたのです!
そんな診断結果ありなの?と思っちゃいますが、当時はそれほど「悪魔」や「魔女」の存在を信じられていたのです。
そして、少女たちが「霊を操っている者(魔女)」として、村で立場の弱い3人の名前を挙げます。
サラ・グッド、サラ・オズボーン、ティテュバ。
名前を挙げられた3人は、当然身に覚えのない罪に困惑し、それぞれ身の潔白を訴えたり、減刑の為に強要されるまま自白をします。(当時は身分階級があり、奴隷の身分だと罪の潔白を主張する権利すらなかったのだとか!突然やり玉に挙げられた3人が不憫でなりません。。)
その取調べの中で、他にも「魔女」がいることを示唆した為、少女たちが更に魔女を告発。
最終的に、計200人以上が魔女として告発されます。
その後、厳しい拷問の末、19人が刑死、1人が圧死、5人が獄中死しました。
その後、事態を知ったマサチューセッツの総督によりこの事件は収束しますが、
現在でも「集団ヒステリー」「悪名高い事件」として知られています。
現代でも起こりうる「魔女狩り」
中世ヨーロッパで盛んだった「魔女狩り」。
実は、「魔女狩り」は現代社会でも起こりうることなんです。
魔女狩りの意味は「権力者や多数派が、思想や宗教、信条などを異にする者を、迫害の対象に仕立てて排斥すること」ですが、
実例として、「煽り運転殴打事件のガラケー女に間違われた女性」がいます。
2019年8月に茨城県の常磐自動車道で起きた事件で、煽り運転をした上に相手の運転手の男性を殴打し、更に恋人であろう女性がガラケーでその様子を撮影していた、という衝撃の事件がありました。
この犯人の恋人は、通称「ガラケー女」と呼ばれていました。
この衝撃的な事件が連日報道される中、インターネット上では「ガラケー女を特定した」として、女性の素顔や実名、連絡先を載せたサイトが出現!
このインターネットの情報を鵜呑みにしたユーザー達が、インターネット上で見ず知らずの女性を誹謗中傷。更に、電話やメールもして猛攻撃をしました。
しかし、このサイトに挙げられた女性は事件に関与していない別人で、ある日突然誹謗中傷の電話やメールが止まらなくなりパニックになっていたのです。
その後、被害女性は警察に相談し、当該サイトの管理人を名誉毀損で訴えて、勝訴。(そりゃそうなるわって話ですね。。)
女性は「ある日突然、犯罪者に仕立て上げられていて、恐怖だった」と語っています。
このように、現代でも「魔女狩り」はあり、私たち人間の恐ろしさと愚かさを映し出すことがあります。
本当に怖いのは、「魔女」ではなく「人間」なのかも知れませんね。
まとめ
有名な魔女って本当にいたのですね。私自身、調べてみて驚きました。
魔女の歴史や魔女狩りについて振り返ってみると、結局一番怖いのは「人間」なのだと、思い知りました。
魔女の歴史を教訓に、幸せに生きていきたいものですね。