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50周年を迎えた新日本プロレスの歴史を振り返る!猪木からオカダカズチカまでを紹介

2022年で新日本プロレスは旗揚げ50周年を迎えました。

この記念すべき年に、新日本プロレスの50年分の歴史を振りかえります。

現在の新日本プロレスを追いかけているファンのあなた。

昭和や平成の新日本プロレスファンだったあなた。

この記事を読んで、懐かしい思い出に触れてください!

新日本プロレスの歴史

1970年代

1972年3月6日。

東京都大田区体育館(現在は大田区総合体育館)で新日本プロレスはスタートしました。

旗揚げ戦のメインイベントは「アントニオ猪木vsカール・ゴッチ」の一戦です。

20代で脂ののっていた猪木選手に対し、ゴッチ選手は40代後半でした。

猪木選手とゴッチ選手は、猪木選手が若手時代からの師弟関係です。

自身で立ち上げた新団体の旗揚げ興行のメインイベントでしたが、勝者はカール・ゴッチ選手。

新日本プロレスは敗北からスタートしました。

当時のプロレスは、日本人対外国人という試合が基本です。

  • アントニオ猪木選手
  • 藤波辰爾選手
  • 長州力選手
  • 坂口征二選手

という日本人レスラーに対し

  • カール・ゴッチ選手
  • タイガー・ジェット・シン選手
  • アンドレ・ザ・ジャイアント選手
  • スタン・ハンセン選手

という外国人レスラーとの試合が、興業のメインです。

また、この頃から猪木選手は総合格闘技戦にも積極的に参戦。

「アントニオ猪木vsモハメッド・アリ」という格闘技世界一決定戦は、プロレスという枠をを越えて世間に響いた一戦でした。

1980年代

80年代で注目したいトピックは

  • タイガーマスク選手の登場
  • IWGP構想

です。

1981年4月23日。蔵前国技館(現在の両国国技館)に「タイガーマスク」という覆面レスラーが現れます。

レスリングや柔道をベースとした投げ技・関節技で試合を組み立てていたプロレスに、タイガーマスク選手は「跳び技」という空間を使った攻撃を持ち込みます

抜群の身体能力から繰り出される「空中殺法」を武器に、タイガー人気が爆発します。

初代タイガーマスク選手の活動期間は約2年でしたが「プロレス=タイガーマスク」というイメージを持っている人も多いと思います。

現在のタイガーマスク選手は4代目。

初代と同じく新日本プロレスで活躍し、ロビー・イーグルス選手とのタッグチーム「フライングタイガー」で第68代IWGPジュニアタッグチャンピオンにも輝いています。

もう1つのトピックは、猪木選手が世界最高のチャンピオンを決める「インターナショナル・レスリング・グランプリ」というコンセプトで大会を行ったことです(それぞれの頭文字をとってIWGPと名付けられました)

開催当初は年に1度のリーグ戦でしたが、1987年に行われた第5回大会を制した猪木選手を「初代IWGPヘビー級チャンピオン」としてベルトと共に防衛戦を行いタイトル化。

現在の「IWGP世界ヘビー級チャンピオン」にまで、長い歴史が引き継がれています。

1990年代

90年代を振り返ると

  • 猪木選手が政界に進出
  • レスラーの複数スター制

が重要なトピックです。

1989年に「スポーツを通じて国際平和」を合言葉にスポーツ平和党を結成。

猪木選手はレスラー初の国会議員となりました。

湾岸戦争中にイラクに人質とされた日本人の開放に尽力したり、北朝鮮で行われた「平和のための平壌国際体育・文化祝典」の一環で新日本プロレスの興行(全日本女子プロレスも協力)を行ったりと、レスラー以外の活動が多くなります。

現場のレスラー達も「アントニオ猪木を中心としたプロレス」ではなく、各シリーズごとにスターが誕生する「複数スター制」に移行しました。

蝶野正洋選手がG1クライマックスでスターに。

獣神サンダー・ライガー選手がベスト・オブ・ザ・スーパージュニアでスターに。

橋本真也選手がミスターIWGPとして新日本プロレスの中心に君臨。

グレート・ムタ選手が唯一無二の魅力を放ち、新日本プロレスを盛り上げます。

2000年代

00年代の新日本プロレスは「暗黒時代」と呼ばれています。

猪木選手・長州選手が90年代後半に現役引退(長州選手は後に復帰)

世代交代が行われますが、新日本プロレスの中心選手だった橋本選手が新団体を旗揚げ。

武藤敬司選手もライバル団体に移籍し、一気にスター選手が抜けてしまいます。

たたみかけるように「K-1」や「PRIDE」といった総合格闘技がブームとなり、相対的に新日本プロレスの人気が落ちてしまいます。

この状況を支えたのが

  • 永田裕志選手
  • 中西学選手
  • 天山広吉選手
  • 獣神サンダー・ライガー選手
  • 棚橋弘至選手
  • 中邑真輔選手

たちです。

特に棚橋選手は

  • ロン毛
  • 茶髪
  • メッシュ
  • 派手なコスチューム

といった「チャラさ」を前面に出すというキャラクターで世間にアピール。

長州選手や藤波選手を見てきた往年のファンからはバッシングを受けながら、新規のファンを着々と開拓していきました。

女性や子供といった、今までプロレスからは遠かったファンが新日本プロレスの会場で見られるようになった時期に「レインメーカー」という起爆剤が日本に帰国します。

現在

2011年の年末に、海外での武者修行を終えたオカダカズチカ選手が帰国。

  • バケモノを越えた存在
  • 新日本に金の雨を降らせる(チケットを完売させ、会社に金を生む)

自らを「レインメーカー」と称したオカダ選手は有言実行でした。

当時のIWGPヘビー級チャンピオンだった棚橋選手から1発でベルトを奪取。

  • IWGPヘビー級チャンピオン
  • G1クライマックス優勝
  • ニュージャパンカップ優勝
  • IWGP世界ヘビー級チャンピオン

といった数々のタイトルを総なめにし、試合会場をお客さんで埋め尽くします。

2012年からの10年は、オカダカズチカ選手を中心にした10年です。

絶対的なチャンピオンとして、数々のライバルを退けてきました。

国外に目を向けると、2020年のコロナウイルスの影響でアメリカ在住のレスラーが来日できなくなります。

このようなレスラーに試合の場を設けることを目的とした「NJPW STRONG」という新番組がスタート。

新日本プロレス以外の団体のレスラーも積極的に参戦していることから、国内では見ることのできないドリームカードが頻繁に組まれていて、ファンを楽しませています。

まとめ

駆け足でしたが、新日本プロレスの50年の歴史を振り返りました。

50周年記念の今年も、たくさんのサプライズを新日本プロレスは見せてくれています。

この記事がきっかけで、もう1度新日本プロレスを見ていただけるとうれしいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

  • この記事を書いた人

 ぱとら

当サイトの案内人、ぱとらです。

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