1990年代後半、新日本プロレスには「邪道・大仁田厚」が参戦していました。
ストロングスタイルを掲げる団体に、突如現れた涙ののカリスマ。
参戦の目的は、長州選手との一騎打ちです。
当時は引退していて、現場監督をしていた長州選手。
だれもが「ありえない!」と言った、長州選手との「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」を、大仁田選手は成功させます。
大仁田選手の大きな野望をサポートしたのが、テレビ朝日の真鍋由(まなべゆう)アナウンサーです。
邪道と呼ばれ、何をするかわからないプロレスラー。
一方の真鍋アナは、真面目だけが取り柄と言われたテレビ朝日の社員です。
デコボココンビとも言える、2人の友情物語を紹介します!
大仁田劇場とは何だったのか?
大仁田劇場とは、大仁田選手が長州選手と一騎打ちをするまでを追いかけたドキュメンタリー作品です。
所属していたFMWを退団し、新日本プロレスに参戦した大仁田選手には、一つの野望がありました。
「長州力を現役に復帰させ、ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで戦う!」
だれもがありえないと思っている事を、大仁田選手は望みました。
長州選手が復帰するなんてありえない。
もし復帰しても、電流爆破デスマッチは絶対にしない!
当時のファンの本心です。
そんな大仁田選手の活動をリポートしていたのが、真鍋アナです。
新日本プロレス参戦したばかりの頃、インタビューに来た真鍋アナに向けて大仁田選手は張り手を浴びせました。
この張り手はプロレス的なパフォーマンスではなく、大仁田選手がアドリブで行っていることです。
この一件は、当時のテレビ朝日アナウンス部長が、ワールドプロレスリングのスタッフに抗議をしていたほどの事件でした。
しかし、大仁田選手と真鍋アナのやり取りは、プロレスファンに受け入れられます。
視聴率もよく、はじめは全く心を開いていなかった真鍋アナも、徐々に大仁田選手に歩み寄っていきました。
この大仁田選手と真鍋アナの台本のないドラマを、我々ファンは大仁田劇場と呼んでいます。
涙のカリスマと、真面目なテレビ朝日アナウンサー
大仁田選手は、自身の想いを口に出すレスラーです。
1985年に膝の怪我でプロレスラーを一度引退しますが、1989年に新団体「FMW」を旗揚げ。
「おもちゃ箱をひっくり返したようなプロレス」と言われたFMWは、新日本プロレスや全日本プロレスがやろうともしないプロレスでファンを集めます。
危険なデスマッチを繰り返し、傷だらけになりながらプロレスをする。
「王道」と言われた全日本プロレスとは真逆の「邪道プロレス」を作り上げます。
試合後は涙を流し、ファンの心に響くコメントを残した大仁田選手は「涙のカリスマ」と呼ばれました。
そんな大仁田選手とは真逆の性格の真鍋アナウンサー。
真面目を絵に書いたような人間の真鍋アナは、テレビ朝日所属の社員です。
当然新日本プロレス側の立場であり、当初は「私は新日本プロレスを愛している」と大仁田選手に向けて発言をしています。
あくまでも大仁田選手とは、仕事上のドライな関係でした。
2人に友情が芽生える
テレビ朝日の社員として仕事をこなしていた真鍋アナですが、徐々に大仁田劇場の演者へと成長します。
2人はプライベートでの交流は一切なかったのですが、真鍋アナはどんな理不尽に扱われても、大仁田選手にマイクを向け続けます。
いつしか大仁田選手の夢を、真鍋アナが支えるようになりました。
大仁田選手の名言
- お前を、新日本プロレスの代表として聞く!
- 俺は、お前に会いたかったぞ!
- 男、一世一代、邪道の夢、お前に託す
大仁田選手が、感情むき出しで放った言葉です。
真鍋アナも大仁田選手に対し
真鍋アナウンサーの名言
- 電流爆破、見たいです
- 力いっぱい実況します
言葉少ないながらも、大仁田選手への信頼を表しました。
大仁田選手はインタビューのときに、毎回真鍋アナの背広をボロボロにしています。
この背広はテレビ朝日からの支給品ではなく、真鍋アナの私物です。
そんな真鍋アナに向けて、大仁田選手は背広をプレゼントしました。
まとめ
真鍋アナは大仁田選手からもらった3万円の背広を着て、大仁田厚vs長州力の試合実況をしました。
この試合は長州選手の復帰戦ということもあり、会場の横浜アリーナは超満員です。
長州選手側では辻アナウンサーが実況をし、大仁田選手側では真鍋アナウンサーが実況をするという前代未聞の試合。
「長州力と一騎打ちをする、電流爆破デスマッチで試合をする」という夢を、2人は長い時間をかけて叶えました。
電流爆破を4発もらい病院に運ばれる大仁田選手は、最後の力を振り絞り真鍋アナに感謝の言葉を残します。
「真鍋・・、ありがっ・・・」
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