長州選手は数々の名言を残していますが、その中の一つに「またぐなよ・・」という言葉があります。
「またぐなよ」は、試合前の練習中に、突如現れた大仁田選手へ言い放った言葉です。
部外者である大仁田選手が「果たし状」を持ち、長州選手のもとへ向かいます。
リングを囲むフェンスの外は一般のお客さんも自由に入れますが、フェンスの中は新日本プロレスのレスラーしか入れません。
部外者のお前が、フェンスからこちら側(リング内)に入ってくるなよ!
という意味で、長州選手は繰り返し大仁田選手に「またぐなよ」とさとしました。
長州選手と大仁田選手の舌戦は「またぐなよ事件」として、ファンに語り継がれています。
当時の時代背景や、長州選手が「またがせなかった理由」を解説します。
2000年のプロレス界
まずは、事件が起きた2000年当時の、長州選手と大仁田選手の立場を振り返ります。
2000年の長州力
1998年1月4日、東京ドーム大会で長州選手は現役を引退しています。
引退後は後輩レスラーの指導や、興行のマッチメイクなどの「現場監督」として、新日本プロレスを支える日々です。
長州選手は現役時代から、気持ちを全面に出すファイトスタイルでした。
自分よりも上の立場のレスラーに噛みつき、試合では妥協を一切しません。
当たり前の話ですが、自身が行ってきたプロレスに誇りを持っているレスラーです。
そんな長州選手は、インディー団体の活動を認めてはいませんでした。
「デスマッチなんかしているプロレスを、自分たちのプロレスと同じくくりで扱うな」
「新日本プロレスと全日本プロレス以外の団体はいらない」
このような過激発言も残っています。
「プロレス」という道のど真ん中を突き進んできた硬派な長州選手にとって、大仁田選手のように邪道なプロレスは認められない存在でした。
2000年の大仁田厚
1989年に新団体「FMW」を大仁田選手は立ち上げます。
デスマッチというプロレスを武器に90年代を駆け抜けますが、1998年に大仁田選手はFMWを退団。
その後はフリーという立場で、新日本プロレスにコンタクトをとります。
当時の大仁田選手は「FMW以外のリングに上がるなら新日本プロレスしかない」と思っていたそうです。
交渉に交渉を重ねて新日本プロレスへ参戦しますが、大仁田選手はサプライズを仕掛けます。
「挑戦状」を持って会場入りし、すでに引退している長州選手との試合を直訴します。
完全な大仁田選手のアドリブだったので、長州選手を始め新日本プロレス側は困惑したそうです。
現役に復帰をする気がない長州選手と大仁田選手の交渉は、2年という長い時間が必要でした。
新日本プロレスでの大仁田厚
大仁田選手は参戦後、徐々に新日本プロレスでのポジションを確保ていきます。
- 東京ドームで佐々木健介選手との試合
- 東京ドームで蝶野選手と電流爆破デスマッチ
- 神宮球場でグレート・ムタ選手と電流爆破デスマッチ
すべての試合で勝てていませんでしたが、長州選手の心は少しずつ動いていきます。
新日本プロレスという完全アウェーな現場でしたが、テレビ朝日の真鍋アナウンサーだけは大仁田選手の味方でした。
大仁田選手と真鍋アナが繰り出す「大仁田劇場」は、テレビ中継「ワールドプロレスリング」での人気コーナーに発展。
ファンの後押しもあり、ついに長州選手は現役復帰を決意します。
長州選手をリングに引っ張り出した大仁田選手は、最後の交渉に臨みました。
またぐなよ事件の真相
2000年6月30日、海老名市の会場で試合前の練習を行っていた新日本プロレスに、大仁田選手が突撃します。
リングサイドにいる長州選手に向かって、大仁田選手は突き進んでいました。
大仁田選手の目的は、長州選手との試合を「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチルール」にすること。
果たし状を持って突き進んでいく大仁田選手に対し、長州選手は「入るなコラ、入るな・・」と大仁田選手を制します。
そのあと長州選手が放った言葉が「またぐなよ」です。
この「またぐなよ」には、2つの意味があったと言われています。
1つは「フェンス内側のリングサイドは、部外者の立ち入りが禁止されている」という理由です。
新日本プロレスの関係者でない大仁田選手は、ファンと同じ立場。
チケットを買ってくれているファンですら入れないリングサイドに、部外者のお前が入ってくるな!という理由です。
もう1つは、長州選手の側に越中選手と健介選手がいて、大仁田選手に睨みを効かせていた事が理由です。
後輩である越中選手と健介選手は、部外者がリングに侵入した場合に排除する義務があります。
大仁田選手がリングサイトに入ってきた場合、長州選手が動く前に2人は止めに入るでしょう。
このラインからこちら側に入ってきた場合、乱闘騒ぎが起きてしまう。
海老名市で行われる新日本プロレスの興行を成功させる責任が、長州選手にはありました。
大事な試合前に騒ぎを起こしたくない。
穏便に済ませるために大仁田選手には「またぐなよ」と繰り返し諭したと言われています。
まとめ
長州選手の殺気を感じたのか、大仁田選手はラインをまたぎませんでした。
長州選手と大仁田選手による、一触即発の事態を回避した言葉が「またぐなよ」です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!