この記事では新日本プロレスの歴代社長を紹介します。
1972年1月に社長に就任したアントニオ猪木選手から、現在の大張高己社長までを紹介。
初代 | 猪木寛至 | 1972年1月 - 1989年7月 |
第2代 | 坂口征二 | 1989年7月 - 1999年6月 |
第3代 | 藤波辰巳 | 1999年6月 - 2004年6月 |
第4代 | 草間政一 | 2004年6月 - 2005年5月 |
第5代 | サイモン・ケリー猪木 | 2005年5月 - 2007年3月 |
第6代 | 菅林直樹 | 2007年4月 - 2013年9月 |
第7代 | 手塚要 | 2013年9月 - 2016年2月 |
第8代 | 原田克彦 | 2016年2月 - 2018年5月 |
第9代 | ハロルド・ジョージ・メイ | 2018年6月 - 2020年10月 |
第10代 | 大張高己 | 2020年10月 -現在 |
さっそく見ていきましょう!
レスラーカンパニー時代
猪木寛至社長
1972年にアントニオ猪木選手が「新日本プロレスリング株式会社」を設立。
現役レスラー兼社長として、新日本プロレスを旗揚げしました。
1973年にはテレビ朝日が試合中継を開始し、新日本プロレスは人気団体となります。
猪木選手が社長を退いたきっかけは、参議院議員選挙で当選したことです。
現役レスラーでありながら国会議員になったことで、社長の座を坂口選手に渡します。
坂口征二社長
猪木選手が国会議員になったことで、副社長だった坂口征二選手が社長に就任します。
全日本プロレスの協力もあり、就任早々の東京ドーム大会を成功。
- G1クライマックス
- ベスト・オブ・スーパージュニア
- 全国ドーム興行
などのビッグマッチを成功させます。
1999年に社長を退き会長に就任。
現在も新日本プロレスの相談役として、頼れる存在です。
藤波辰巳社長
坂口社長からバトンを受け継ぎ社長に就任します。
藤波選手の社長就任時期には
- 橋本真也選手
- 武藤敬司選手
- 佐々木健介選手
- 長州力選手
- 小島聡選手
などの主力選手が相次いで新日本プロレスから退団しました。
K-1やPRIDEといった総合格闘技のブームも重なり、経営的には苦しかったそうです。
2006年に自身も新日本プロレスから退団。
現在も現役として、さまざまなリングに上がっています。
レスラーカンパニーからの脱却
草間政一社長
2004年に社長に就任した草間政一氏は、新日本プロレスで初めてのプロレスラー以外の社長です。
経営コンサルタントの経験を活かし、今までどんぶり勘定だった会計面を改善しています。
社長就任期間は1年でしたが、3年間赤字だった会社を黒字化したことで評価されています。
ユークス時代
サイモン・ケリー猪木社長
アントニオ猪木選手の義理の息子である、サイモン・ケリー猪木氏は2000年に新日本プロレスに入社。
ロサンゼルス道場の広報担当を経て、2005年に社長に就任します。
サイモン・ケリー猪木社長の就任中に、株式の51.5%を株式会社ユークスに売却。
新日本プロレスはユークスの子会社となります。
菅林 直樹社長
学生時代に全日本プロレスのアルバイト、新日本プロレスのアルバイトを経験し、新日本プロレスに入社します。
営業部・宣伝部・ソフト事業部を経て、副社長に昇格。
2007年に社長に就任し、アルバイトから新日本プロレスの社長にまで駆け上がりました。
2012年には株式会社ブシロードにすべての株式を譲渡。
新日本プロレスはブシロードの子会社となります。
ブシロード体制になった最初のビッグマッチで「レインメーカーショック」が起こり、オカダカズチカ体制の新日本プロレスがスタートします。
ブシロード時代
手塚要社長
ブシロードから新日本プロレスに出向という形で社長に就任します。
「会場にお客さんをたくさん呼ぶ」
というシンプルな戦略で、新日本プロレスをV字回復させます。
広告・宣伝に力を入れ、女性ファンの獲得に成功。
「プ女子」という、プロレスが好きな女性ファンが増えたのもこの頃です。
原田克彦社長
原田社長が就任した2016年は
- 中邑真輔選手
- AJスタイルズ選手
- カール・アンダーソン選手
- ドク・ギャローズ選手
といった主力選手が、アメリカのプロレス団体WWEに移籍していきました。
選手層が薄くなった新日本プロレスですが
- 内藤哲也選手
- ケニー・オメガ選手
といった新たなスターが誕生します。
特に内藤選手率いる「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」は、大きなムーブメントとなります。
ハロルド・ジョージ・メイ社長
ハロルド・ジョージ・メイ社長は、ファンの間でも親しまれていた社長です。
新日本プロレスの公式サイトで定期的にブログを執筆。
試合会場にもよく顔を出し、ファンサービスも積極的に行う姿が印象に残っています。
社長就任期間は2年ほどでしたが、ファンにとても愛された社長でした。
大張 高己社長
2020年に社長に就任した大張社長は、もともとアメリカ法人の責任者でした。
新日本プロレスのアメリカ版「NJPW STRONG」を開始し、日本とアメリカ、アメリカの他団体との懸け橋となるリングに育っています。
2022年5月1日に行われた新日本プロレスの興行に、アメリカで活動していたBULLETCLUBが突如来襲。
新日本プロレスとNJPW STRONGのストーリーがついに交わっていきます。
まとめ
新日本プロレスの歴代社長10人を紹介しました。
レスラーが中心となるプロレス業界ですが、会社を代表する社長に注目すると、より一層プロレスが楽しく見れますよ。
最後まで読んでいただきありがとうございました!