1991年からスタートした「新日本プロレスvs誠心会館」の抗争のあとに「平成維震軍」というユニットが誕生。
漢達は新日本プロレス本隊と、天龍選手率いるWARとの抗争で、熱い試合を見せてくれました。
平成維震軍の前身である反選手会同盟からの歴史をふりかえります。
早速みていきましょう!
反選手会同盟から平成維震軍へ
まずは結成の歴史をふりかえります。
小林邦昭・越中詩郎、選手会を脱退
1991年に小林邦昭選手と誠心会館の若手が起こした些細なきっかけで、新日本プロレスと誠心会館との抗争はスタートしました。
この抗争は新日本プロレスが勝利を収めます。
しかし、誠心会館は決着戦で道場の看板を掛けていたことから、新日本プロレスに大切な看板を奪われたままです。
看板を取り返さなければいけない誠心会館の青柳館長は、抗争の主役である小林選手と越中選手の対戦を要求。
誠心会館の自主興行に新日本プロレスから2人だけで乗り込み、決着戦である青柳館長vs小林選手の試合は両者レフェリーストップという壮絶な試合でした。
試合後に小林選手が誠心会館の看板を返却したことで、両者の抗争は終了します。
しかし、会社に無断で他団体の興行に参加したとして、新日本プロレスは小林選手と越中選手を無期限停止処分にします。
この処分に納得がいかない小林選手と越中選手は、新日本プロレスの選手会を離脱。
新日本プロレス本隊と対抗する姿勢を見せました。
誠心会館が反選手会同盟に合流
小林選手と越中選手の処分が解け試合に復帰しますが、選手会には戻らずに2人だけで行動します。
そんな状態でしたが、木村健悟選手が2人に合流。
さらに、誠心会館として新日本プロレスに迷惑をかけたことをお詫びしに来た青柳館長と齋藤選手に対し、新日本プロレスの蝶野正洋選手が「お前らのせいでこうなったんだろ!」と激怒。
新日本プロレス側と乱闘騒ぎとなり、誠心会館の青柳館長と齋藤選手も反選手会同盟に合流します。
現時点のメンバー
- 小林邦昭(新日本プロレス)
- 越中詩郎(新日本プロレス)
- 木村健悟(新日本プロレス)
- 青柳館長(誠心会館)
- 齋藤彰俊(誠心会館)
メンバーが5人に拡大し、ユニット名を「反選手会同盟」に決定。
4ヶ月前には抗争を繰り広げていたメンバーでユニットを結成してしまいます。
平成維震軍結成
WARから移籍してきたザ・グレート・カブキ選手、若手の小原道由選手・後藤達俊選手も加わり、ユニット名を「平成維震軍」へと改めます。
平成維震軍メンバー
- 越中詩郎
- 小林邦昭
- 木村健悟
- 青柳館長
- 齋藤彰俊
- ザ・グレート・カブキ
- 小原道由
- 後藤達俊
長州選手らが以前結成した維新軍とは違い、平成維震軍の「新」の文字はプロレス界を震撼させるという意味で「震」の文字が使用されています。
札幌で行われたWARとのシングル7番勝負では、4勝3敗で平成維震軍の勝利。
全員がお揃いの袴をはき、試合に勝利したら「覇」の文字の入った旗を8人の侍は振り続けました。
まとめ
1999年に解散した平成維震軍ですが、2006年のWARでの興行や2016年のプロレスリングマスターズで、限定復活しています。
2019年に行われた、越中選手のデビュー40周年記念興行では新メンバーとして真霜拳號選手も参加しました。
越中選手が現役の限り、維震軍の戦いは終わりません。
最後まで読んでいただきありがとうございます!