アントニオ猪木選手といえば、数々の名言を残したことで有名です。
アントニオ猪木選手の名言
- 出る前に負けること考えるバカいるかよ!
- 人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に年老いていくのだと思います
- 元気があれば何でもできる!
この記事では、猪木選手の名言の中から3つを選んで紹介します。
世の中に元気がなく先が見えない現代こそ、猪木選手の言葉から元気をもらいましょう!
アントニオ猪木選手とは?
猪木選手は横浜生まれですが、中学生の時に家族そろってブラジルに渡ります。
陸上競技で活躍していたところ、日本プロレスの力道山選手の目に留まり、スカウトされる形で日本に帰国。
本名の猪木寛至として日本プロレスでデビューします。
その後、日本プロレスから独立し東京プロレスを旗揚げしますが、3ヶ月で団体は破産してしまいます。
猪木選手は日本プロレスへと復帰しますが、会社との折り合いがつかずに再び退団。
新日本プロレスを設立し、社長兼看板レスラーとして日本のプロレス界を引っ張っていきます。
猪木選手は「プロレスこそ全ての格闘技の頂点である」というストロングスタイルを提唱。
- 空手
- 柔道
- ボクシング
といった、別のジャンルの格闘家とも積極的に試合を行いました。
アントニオ猪木選手の名言を紹介
アントニオ猪木選手の名言その1
出る前に負けること考えるバカいるかよ!
1990年2月10日 アントニオ猪木
1990年2月10日。
試合前の取材で、猪木選手はテレビレポーターを一喝しました。
この日の試合会場は東京ドーム。
詰めかけたファンは6万人を超えています。
超満員札止めの会場でのメインイベントに向けて、猪木選手はピリピリしていました。
猪木選手とタッグパートナーの坂口選手は、ともに40代中盤でレスラーとしてのピークは越えています。
この日の対戦相手は、勢いのある若手レスラーの橋本・蝶野組。
試合前の取材でテレビレポーターが
もし負けるということがあると、これは「勝負は時の運」という言葉で済まないことになりますが
佐々木正洋アナウンサー
という質問に対し、放った言葉が
出る前に負けること考えるバカいるかよ!
アントニオ猪木
という言葉です。
自らの肉体はピークを過ぎ、勢いのある橋本・蝶野組との試合。
さらに現役の国会議員としての活動もあり、100%プロレスに集中できない中でのビッグマッチでした。
「猪木は負けてもしょうがなかった」という言い訳を作れる状況ながら、猪木選手は勝利することしか頭になかったんだと思います。
もしかしたら「自分自身を奮い立たせるために放った言葉なのか?」とも感じる一言です。
どんなに困難な状況でも、絶対に気持ちで負けないことを教えてくれた名言です。
アントニオ猪木選手の名言その2
人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に年老いていくのだと思います
1998年4月4日 アントニオ猪木
猪木選手は引退のセレモニーの時「最後に皆様にメッセージを贈りたいと思います」と語り、冒頭の言葉を私たちファンに贈りました。
人生100年時代といわれ、常に新しいことを学び続けなくてはいけない時代です。
新しい技術、新しい仕事に常に挑んでくれ。
挑戦する心を持ち続けてくれと猪木選手は語ってくれました。
猪木選手の引退試合は
- イゴール・メインダート選手
- ブライアン・ジョンストン選手
- 小川直也選手
- ドン・フライ選手
この4選手の中から勝ち上がったドン・フライ選手が務めました。
盟友の坂口選手でも藤波選手でもなく、これからの格闘家を引っ張っていく4選手の中から選ばれたのは猪木選手らしい演出です。
常に新しいことに挑戦する姿勢を、猪木選手は見せてくれます。
アントニオ猪木選手の名言その3
元気があれば何でもできる!
アントニオ猪木
猪木選手独特のあいさつのような言葉ですが、人生において最も大事なことだと思います。
ここ数年の新型コロナウイルスの流行により、健康でいることの価値が高まっています。
「元気があれば何でもできる」この言葉を裏返すと「元気がないと、やりたいことがなにもできない」ということです。
体調が悪ければ無理して外出もできない。
感染症にかかってしまうと、症状がおさまっても一定期間自宅で待機をしなくてはいけません。
プロレス界でもレスラーがコロナウイルスに感染したせいで、チャンピオンベルト返上という事態も起きています。
元気があれば何でもできる。
健康に過ごすことの大切さに気付ける言葉です。
まとめ
猪木選手の名言を3つ紹介しました。
猪木選手の名言は他にもたくさんあります。
ぜひ、その言葉に耳を傾けてみてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
1990年2月10日の試合後に放った名言で、この記事を終わらせたいと思います。
1・2・3・ダー!